鎌倉時代の古記録にも現れる当社年間の最重儀。多賀まつり、或いは騎馬多数の供奉が行われるところから馬まつりとも呼ばれる。
正しくは「古例大祭」と称する。
前儀は早く一月三日から始まり、この日、神前で祭を主宰する馬頭人、御使殿の差定式が行われる。馬頭人は古く、郡内の豪農から、御使殿は社内神職の子弟から選定されていたが、現在馬頭人は彦根犬上郡内の徳望家から、御使殿は氏子中の子弟から選出されている。
二月初午の日は馬頭人初社参式、馬頭人が大前で無事大役をつとめられるよう祈念する。
四月に入ると、馬頭人、御使殿共に、神様を迎え入れる御神入式、神様に自ら御供物を献じる大御供式、宵宮祭などを行い、当日を迎える。
当日は、祭の全関係者が大前に参集して、午前八時半から大祭を斎行、午前十時には列次を整えてお渡りが出発する。その列次は、馬頭人、御使殿を中心に、氏子や崇敬者の騎馬供奉四十数頭、御輿や御鳳輦の供奉者など実に五百名に及ぶ御神幸となる。
御神幸は始め栗栖の「調宮」に向かうが、馬頭人と御使殿は別途、犬上川の下流に向かい、賓台と呼ばれる河原において御幣合わせの儀式を行った後、再び尼子の打籠馬場において、ここで「飛ノ木渡し式」という儀式を行った後、午後三時、揃って本社に還幸する。この還幸がいわゆる「本渡り」と呼ばれるもので、祭の最大の見どころである。
午後五時には、宮司以下神職、祭りの全関係者が本殿を三周する「夕日の神事」が行われ、一日を費やした大祭は終了する。
翌日は後宴祭で、大祭が無事に終了したことを神様に奉告する。
一連の祭儀の棹尾は御神上式で、馬頭人、御使殿がそれぞれ神様をお送りして一切の祭儀は終了するのである。
午前8時30分
関係者全員がそろって、年間で最も大きなお祭りをとり行います。
午前10時
午前10時30分
おわたりは先ず、栗栖の調宮神社へ向います。調宮では、お祭りが行なわれ、しばらく休憩します。
馬頭人とお使殿は午前十時半に賓台へ向い、ご幣合わせを行ったのち、本社へ帰ります。
午後1時
午後2時
ご本社前で馬頭人、お使殿も行列に加わります。
午後2時30分
お祭りが行なわれ、しばらく休憩します。
午後3時30分
富ノ木を宮司が馬頭人とお使殿に渡します。この富ノ木というのは調宮に生えている桂の小枝で豊作を祈るしるしです。
午後4時
本社へお帰りになる行列で、祭りのハイライトです。
午後5時
以上のとおりですが、天候などにより多少の遅速があります。